インスタント魔王様

※1章は週刊少年ワロスでお読み頂けます。
未読の方は漫画を先にお読み下さい。※

2章

 朗々と響く獅童の声は学校のスピーカーから流れ出るものではなく、脳裏に響く超展開的なやつだった。今更驚きもしない。
「まあ変な結界とかあったからもういいけどね」
 姫奈に聞こえないように呟く。獅童の声を聞いた瞬間から、姫奈は汚物を鼻先につきつけられたような渋面を作った。
『あ、あー。聞こえてるかね』
「聞こえています……兄上」
『そうか。よかった。久々に使った力なのでな。まともに使えているかどうか不安だった』
「兄上、これはいったい……これが前に言っていた勇者としての力ですか」
『うむ。そのとおりだ』
「どうしてそんなことを」
『それはそこの小男がよく知っているんじゃないか』
 キッと射すくめるような視線が向けられる。
「どうなんだ」
「いいえ。まったく思い当たることは」
『これを、聞いてもかね?』
 ずっと何かを引きよせるような音が聞こえる。
『うぅー……すみませんマスター。しくじりました』
「誰?」
『酷い! 熱い夜を過ごした仲じゃないですか! エロ同人みたいに!』
「……………? ………誰、ですか?」
『幼女の身売りがいまここに!』
『とぼけても無駄だ。君がなんなのか私はよく知っている。リブは私が捕まえた。返して欲しければ、今すぐ生徒会室にくることだ』
 それで獅童からの通信(?)は終わりだった。
 まぁリブくらいどうなってもいいだろうというのはわりと本心だったけれども、一応進まずにすみそうにない。
「しかたない。行こう、葛葉さん」
 声をかけても、姫奈は動き出さない。じっと下を見て独り言を呟く。
「まだ魔王が見つかっていない」
「これからちょっとずつ探していけばいい」
「それにどうして兄上はこんな――勇者の力なんてものを使った? 勇者の力は魔に対して使うべし……そう言ったのは兄上のはずなのに」
「迷わず行こう。行けばわかるさ」
 ふっとキメ顔で目離した数瞬、いつの間にか姫奈はみのりにつめよっていた。ぐっとネクタイを握られる。いつぞやの屋上よりも苦しくはない。体的には。
「君は何を隠している?」
「特に隠し事は……」
「言え。今すぐ。この場でだ。もしかして君が――」
 むぎゅっと姫奈の両頬を押しつぶし、言葉を止めさせる。タコみたいな表情は意外と可愛らしかった。
「にゃ、にゃにをひゅる」
「行けばわかるさ」
 みのりは手を取って生徒会室へと向かった。

「兄上!」
 姫奈は勢いよく生徒会室の扉を開けた。
 一般的な部室より少し大きい部屋だ。整然と立てられたスチールラックには幾つものファイルが収まっている。オフィスのように置かれた机には整理が終わっていない書類が詰まれ、投げっぱなしにされていた。最奥、部屋を見渡せるように配置された机に獅童はいた。
「君が勇成か」
 獅童は眼鏡越しに鋭い視線を放って、低い声で呟いた。腕を組んでゆったりと椅子に腰掛けている。妹同様切れ長の目、その下には日本人にしては高めの鼻がある。女子に人気らしいプラチナブロンドの髪は後ろでくくられ、さらりと背を流れていた。
「マスター!」
「どなた?」
「なら、おしべ!」
「何で知ってるんだよやめてよそれマジで!」
 リブはぐるぐる巻きにロープを巻かれ天井から吊されていた。獅童の隣でぷらんぷらんしている。パンモロだった。
「来てくれると信じていました!」
「本音はどれくらい」
「半々!」
「素直でよろしい」
「兄上、これはどういうことですか」
「言っただろう姫奈。我ら葛葉の一族は由緒正しい勇者の血脈だ。その身に宿る力は罪なき人に向けてはならない。勇者の力は魔に対して使うべし、と」
「兄上、それは知っています。だから」
 姫奈はぴっと指をみのりに向ける。
「――矛盾している。彼はその罪なき人なのではないのですか。勇者の力は魔に対して使うのではないのですか」
「姫奈、よく聞くんだ姫奈。何も矛盾はしていない。私は勇者の力を正しく使ったまでだ」
「だから、それが」
「見せたほうが早いだろう」
 獅童は立ち上がり、吊られたリブの後ろにまわった。
「見ていなさい姫奈」
 獅童はぐっとリブの腰の辺りをまさぐり始めた。手つきが若干手慣れている。
「うおおやめろてめえええ! あふんっ♪」
 リブはよじって逃げようとしたが、努力空しく何かをされた。
 途端一気に脱力すると、しゅるしゅると尻尾が垂れ、にょきっと頭から耳が生えた。
「これが……」
「姫奈は見るのは初めてか。しっかりと見ておきなさい。これが魔王の姿だ」
 姫奈は目を見張り、わななく口元を手をやる。やや目を輝かせ、小さく言う。
「か、かわいい……!」
「何か言った? 葛葉さん」
「い、いや、なにも」
 ぶんぶんと姫奈が首を振る。
「しかし兄上。それでも彼は関係ないんじゃないんですか」
「姫奈も聞いていただろう。この子がそこの小男を何と呼んでいたか」
「……『マスター』」
「そうだ。この子は今は魔王ではなく魔王の眷属、手下のようなものでしかない。今の魔王は――」
 すっと獅童の指が持ち上がる。姫奈が正面から見つめてくる。
「君が――」
 みのりはすべてを受け入れた。
「そこの勇成みのりだ」

「君が魔王なのか」
「うん」
「騙して……いたのか」
「言わなかっただけだよ」
「どうして……どうしてもっと早く言わなかったんだ」
「訊かれなかったから」
「くっ……」
 姫奈は悔しそうに下を向く。握られた拳が小刻みに震える。
 姫奈の影に隠れた獅童が口を挟む。
「まったくそうやって私の妹をたぶらかしてくれていたのか。危なかった。いち早く危機を察した私が手を下しておいて正解だった。結界もたまには役に立つな」
「むしろその結界とやらのせいで僕が魔王になったのですが」
「だからこそだ。それでいい。そのおかげでこうしてリブの力が弱まった。学園中から精力を吸いつくし、力を蓄えられたらいくら私といえども太刀打ちできない。こうして捕まえられたのも、裏を返せば貴様のおかげかもしれない」
「ならもういいですよね。僕何もしませんから。妹さんも置いていきますし」
 正直もうお関わりになりたくない。
 みのりの完璧な譲歩にもかかわらず、獅童はとろけたように曖昧に返事をする。
「いや、もう少しこの感触を楽しませてくれ」
「はい……?」
「あうぅ……ますたぁ……ますたぁ……たすけて、たすけてください……」
 姫奈の体越しに見えるリブは殊勝に懇願する。涙まで流している。
 吊られたままで耳もひっこんでいない。無論尻尾も……。
 ……。目を疑った。ごしごし擦る。……。ごしごし擦る。…………。
「……………………」
 ちょいと固まったままの姫奈をどかす。
 直視してみる。もう一回だけ目をごしごし擦る。見る。変化なし。
「すばらしい……すばらしい手触りだ。やはり若さはすばらしい……」
 陶然とした表情の獅童がリブの尻を撫で回していた。尻を撫で回していた。リブの尻を撫でていた。
「おうあえ?」
 学園の生徒会長が喜びの極みみたいな顔で幼女の尻を撫でている。
「くそっ、やめろ、うぅ……」
 珍しく本気で嫌そうなリブが尻尾がぺちぺち獅童の腕を叩くが、腕は一向に止まる気配はない。
「理事長のお力添えもあったが、やはりこの姿で学園に縛りつけた私の判断は間違っていなかった」
 頬ずりし始めた。
 狂気を感じた。
 みのりはちょいちょいと姫奈のブレザーを引っ張り、惨劇を指差した。
「き、キケン、き、キケン」
「……ん、ああ、嗚呼……またか。すまない、見ないでくれ。すまない。本当にすまない。心底気持ち悪いだろう。泣く子はよりむせび泣き、全米はひくレベルだ」
 リブが涙目でわめく。さすがに同情を禁じ得ない。女じゃないけど。
「やめろっ、やめろよぅ」
「まず肌の質からして違う。なんだこの吸いつくような感触は。熟れた女の乳房ではこうはいかない。それにこの丸み。芸術だ。石膏で型を取ってうちに飾りたい。それにこのいちごパンツ。これを穿きこなすにはまず若くなくてはならない。それに――」
「兄上、おやめください」
「太もももすばらしい――姫奈も見てみなさい。この世で最も愛でなければならないものがここにある」
「兄上。あれほど私が言ったのに、あなたは何も変わっていないのですね」
 姫奈は哀れみの目を獅童に向けた。みのり、ちょっと復活。
「葛葉さん、これは」
「すまない。申し開きようがない。こうなる前になんとかしたかったのだが」
 静かに姫奈は核心を告げた。
「兄は、重度のロリコンなんだ」
「ホワッツ?」
「そして重度のシスコンでもあるんだ」
「ホワイ?」
「混乱するのもわかるが真面目に聞いてほしい。そして忘れてくれ。兄は幼い子か妹しか愛せない」
 みのりは獅童と姫奈を交互に見比べる。
「やめてくれ……あれの妹だと認識しないでくれ……そんな目で見ないでくれ……もう殺してくれ……」
「か、髪の色は」
「私と兄はクォーターなんだ。祖母が北欧人でな。勇者の血筋もそこが発端だと聞いた。地毛はプラチナブロンドなんだが、その、私は兄と一緒が嫌で……染め直した」
 本気で悲しそうに姫奈は顔を伏せる。
 リブの絶叫が響く
「やめろおおおおおお」
 舐めていた。末期だった。
「マスター! マスタァー! ますたあああ!」
「待ってろ。リブ、待ってろ。あと少し耐えるんだ」
 みのりは初めて配下をまともに守ってやろうと思った。
「でもどうすれば」
「こうなる前に、私は魔王に会って――」
「葛葉さん、立ち直って。早く。今立ち直れば巨乳になるよ!」
「魔王に会って、助力を請おうと思ったのだ……ホントに?」
 嘘に決まってんだろ。
 気を取り直す。
「葛葉さん。ほら見て」
 生死をさまようよっているような姫奈の視線を真正面からみのりに合わせる。かすかな震えがつかんだ肩越しに伝わってくる。
「魔王ならいるよ。目の前に」
「君が、君ならどうにかできるのか」
「どうにかできる……のかわからないけどなんとかしなきゃいけないのはわかる」
「ここで言い切るのが男の子だろう」
「男の子兼魔王ですから」
「そうか。まあいい。――勇成、私を助けてくれ」
「まかせな!」
 酷かもしれないが頼れるのは一人しかいない。大声で訊く。
「リブ。何かない!」
「うおおおおおてんめええええええ! ハイィ、なんですかマスター?」
「僕が魔王として、できることない?」
「そ、それなら契約をするんでうおおおおおおお! それで手下を増やせばおおおおお!」
 一周まわって戦う姿勢を取り戻したリブがぐるぐる巻きの状態で交戦しつつヒントをくれた。
 契約。……契約。
「葛葉さん。僕と契約してくれますか」
「それで兄をどうにかできるのなら」
 一も二もなく賛成する。渋ってくれたほうが楽だった。
「で、契約とはどうすればいい」
「そ、それは」
「何をしている。早くしろ。サインか」
「肉体サイン的な」
「ん、なんだ。はっきりしろ」
 一度深呼吸して口を開く。
「き、きしゅでしゅ」
 噛んだ。深呼吸無駄だった。
「ん、きしゅ? きしゅ……き、きききき!」
 何をするのか分かってくれたのか、姫奈は一瞬で茹であがる。
「マジか?」
「マジです」
「キシュか?」
「キシュです」
「そうか……」
「そうなんです……」
 なんだこの空気死ぬ。
「ど、どこに?」
「口ですぅー! ディープじゃないと契約は不可能ですー!」
 小声で話していたはずなのにリブが大声で言ってくる。
 少しだけ背が低い姫奈がみのりを見上げる。瞳は潤んでいた。
「勇成。覚悟を決めろ」
「はい」
「これは非常事態で、かつ同意の上でのものだ」
「はい」
「他意はない……他意は、ないぞ」
「はい」
「よ、よし。目を閉じろ」
「えっ、僕が」
 言い返したときにはガチンと前歯どうしがぶつかっていた。

「ひ、姫奈っ……」
 獅童が信じられない光景を見たように愕然とする。さすがに腕は止まっていた。
 姫奈の赤い顔がみのりから離れる。
「これが、魔王――」
 姫奈は呟いてすぐ痙攣のように震え始める。両腕で全身を抱きしめ、ちょいエロな熱い吐息を洩らす。
「くぅあぁ、あぁぁ……」
「姫奈!」
「葛葉さん!? ――リブ! どういうこと?」
「わかりません!」
「はあ?」
「わからないものはわからないんです! いいですか。マスターは正直に言ってこれまでにないくらい未知数です。本来ならその力もいかほどのものか。実はリブもわかっていません」
「先に言ってよ!」
 本当は何もわかっていないんじゃないかと、心底不安になる。
「こっちも調査中だったんです! でも、安心してください。普通は契約後、契約した人物にはその能力が伝わっているはずです。つまりそこでびんびんしてる女から聞けばいいのです」
「びんびん?」
 みのりには姫奈が苦しがっているように見えていた。
 目を戻す。と、確かにびんびんしていた。
 新たに生えた耳と尻尾がである。
「は、ふはは、これが魔王の力か」
「く、葛葉さん……」
「安心しろ。もう大丈夫だ。どうやら、君の力は契約者に対し、三分間魔王としての力を移譲するものらしい」
「そ、そうなの」
 持ち主ですら知らなかった設定がいまここに。
「魔王としての力って?」
「さあな。それは力を行使するものによって違うみたいだ。私の場合、なんだろうな……これは。とりあえず身体が異常に強化されたことはわかる」
 姫奈は全身の関節を鳴らし、笑った。
「つまり、兄の生殺与奪は私のもの、ということだな」
「姫奈、何を言っている」
「兄上、貴方をこのまま見過ごすことはできない。ここで終わりにしてくれる」
「待ちなさい姫奈。お前は勇者の一族の人間だ。そんなものが魔王に屈していいのか」
「よい。兄上、逆に問おう。勇者の一族の人間が、公序良俗に反するような性癖を持っていても構わないというのか?」
「構わん。幼女はいい、心が洗われるようだ。YESロリータNOタッチという至言を知らないのか?」
「普通知りませんよ」
「もういい。もういいんだ、勇成。あのような兄を野放しにするのは、恥部を公開するよりも恥ずかしい。あれは駄目なのだ。存在が猥褻物なのだ。生きていることが猥褻物陳列罪なのだ。そうだ、もはやあれはちんこだ。ちんこなのだ。あれは歩くちんこなのだ。そう思ってくれ」
「そういう下品なのはあのぐるぐる巻きのに言わせるから、無理しないで」
「マスターの中でリブの女子力はどんだけ低いんですか」
「くっ、話し合いでは解決できないようだな」
 獅童は尻からやっと手を離す。
「よろしい。兄妹の喧嘩は一種の愛情表現だ」
「兄上。覚悟を決めてくださったのですね」
 生徒会室に異質な緊張が満ちていく。先に動いたのは姫奈だった。静かに右腕を持ち上げる。
「天よ地よ、火よ水よ……我に力を与え給え! ぱ、ぱ……ぱ?」
「何言ってんの?」
「しっ、邪魔しちゃダメですよ。よくある変身の前口上の最中でしょう」
「ぱ、ぱぁ……ぱぱ、うーん、ぱい、ぱい? ぱい……ぱい……胸……?」
 自身のコンプレックスに触れ錯乱しだした姫奈に、リブがぼそっと助け船を出す。
「パイルフォーメーション」
「ぱ、パイりゅふぉうメンしょん!」
 噛んでたが、些細なミスはお構いなく魔王の力は応えた。
 意思を受け姫奈が空中で光となると、時を超え、次元を超え、パイルフォーメーションは完成する。
 突如として光が湧き出てくる。一瞬、姫奈が全裸になったように見えた。
 何も見えなかったことしようそうしよう。
 徐々に光が消えてゆき、姫奈の姿があらわになる。
 耳も尻尾もそのままに衣服だけが変わっていた。ふりっとしたやたらボリュームのある素材を中心とし、やや短めのスカートから足が覗いている。右手にはバールのようなものが握られていた。
 姫奈はわなわなと震え始める。
 初めての力の行使で何か異変が起きたのか。みのりにもわからない。
 姫奈は震える手を両頬に当て、口を開いた。
「はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん!」
 ご満悦だった。
「葛葉さん、これは?」
 鼻息が荒い姫奈がみのりを向く。目が輝いていた。
「これは『わたしがかんがえたさいきょうのまおうしょうじょ』でな。常日頃から考えていた設定を思う存分投入してみた。見ろこのフリル超きゃわいくないか。きゃわいいだろ。そうだよな。私が考え出したのだものな。はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜ん!」
「もう少し日本語でお願いします」
 聞く耳持たず姫奈は満面の笑みで自分の姿に見入っている。尿意以外のキャラづけができそうな予感がした。
 対面では獅童がリブに相談していた。
「おい卑怯じゃないか」
「卑怯じゃありません。魔王なんだからあれくらいできて当然です。それにあやつは勇者と魔王のハイブリッド型ですから、なんやかんやで魔力がやたらと高いのでしょう。所詮魔王なんて便利設定の塊ですし」
「なんだあのバール状のものは。あんなの打ちのめされたら私だってたまらんぞ」
「知りませんよ。そっちこそ勇者の力でも使って対抗したらどうなのですか」
「いや、私なんぞにできることなどたかがしれている」
 ひとしきり満足したのか、姫奈はさっきの邪悪な笑みを浮かべた。
「さて兄上。辞世の句を聞こうか」
「待ちなさい姫奈。暴力は何も生み出さない。ガンジーもそうおっしゃっている」
「よろしい、ならば戦争だ」
「兄の話を聞きなさい」
「葛葉さん、時間は?」
「大丈夫だ、問題ない。62秒でケリをつける」
「本当に大丈夫なの?」
「レベルを上げて物理で殴れば大抵は解決可能だ」
 じりじりと姫奈が近寄っていく。じりじりと獅童は後じさる。
 止められないと悟ったのか、獅童が立ち止まった。
「くっ、しかたない。来なさい、姫奈。武器なんて捨ててかかってきなさい」
「貴方には言いたいことが山ほどあった……だがそれもどうでもいい。もう何も怖くない」
 姫奈は厳かに呟いて、駆け出す。
「野郎、ぶっ殺してやる」

 外の雨は止んでいた。姫奈はすでに制服に戻っている。
「これにて本日の対魔王部の活動を終了する」
 昇降口を出て、校門へ向かう。
「やっとすべてがわかりましたよ。やっぱりあなたは勇者だったのですね」
「そうらしい。正確には勇者の血族だが」
「どういうこと?」
「一般人にしては不可解な点が多すぎたんです。普通ならわからないはずのリブの小部屋を探し当てたり、妙に気配を消して現れたり、マスターが無事に結界を切り抜けたり」
 強引な伏線回収だった。
「ふぃー。勇者もぶっ倒したことですし、これでリブも学園外に出られますよ」
「すごい戦いだったね」
「我ながら完璧な立ち回りだった」
 数十分前を思い出す。一方的な虐殺だった。般若の形相でバールを振るうだけの簡単なお仕事だった。
 みのりは隙をみてリブを救出し、絶えず聞こえるぴちゃぴちゃという水が滴るような音を聞きながら、抱き合って震えていた。
「その気になれば痛みなんて完全に消してしまえるから楽だった」
「葛葉さん。一発もくらってないでしょ」
「兄は幼女と妹には絶対に手をあげないからな」
 ふっと微笑む。すごく満足そうだった。
「しかし君が魔王だったとは」
「望んでなったわけじゃない」
「せっかく私が直々に訊いてやったのに、嘘をつくな」
「あの時はまだ一般人でした」
「まあいい。今はすごく機嫌がいい。あそこまで徹底的に兄をぶちのめせて私は幸せ者だ」
「そうですか」
 今後、姫奈を怒らせる真似はしないと決心した。ロリコンにもならない。YES熟女NOロリータ。なんか違うな。
 校門をくぐるとき、ふと姫奈が足を止めた。
「ありがとう。魔王を追うなど意味がないとわかっていたのだろう」
「まあ、僕が『それ』だしね」
「なのに、君は手伝ってくれた」
「断れる雰囲気じゃなかった」
「それでも君は手伝ってくれた……どうしてなんだ?」
「困ってる人を助けようとか、葛葉さんだからとか、そういうわけじゃない」
「マスター。ツン期ですね」
「違います」
「なら、どうしてなんだ」
「強いて言うなら……そうなるからそうなった、ってとこかな」
「よくわからん」
「流されただけだよ」
 姫奈は少しきょとんとした。
「そうか……それが、君なんだな」
「そういうこと」
 心地よい沈黙が降りた。それを堪能したように姫奈はすっと姿勢をただし、みのりに真っ直ぐに向き直る。暗くて良く見えないが少し顔が赤いようだった。
「言い忘れていた。目をつぶってくれ」
「どうして?」
「早く!」
 キレさせたらまずいと知ったばかりなので素直に従う。
「力を返すぞ」
 その言葉が聞こえた時には頭の両方からアイアンクローが刺さっていて。
 口元に柔らかい感触があった。
「!?」
 何この展開死ぬ。
 喜びの前に驚愕がくる。ちゅっと小さな音を残し、姫奈は即座にみのりに背を向ける。
 髪の合間から見える首筋が赤い。ゆらりと赤が揺らめいた。
「ち、力は返したからな。じゃあな。みのり」
 聞き取れないくらい口早にそう言って尋常じゃない速度で走り去っていった。
 みのりは遠ざかる背を見つめるしかない。
「……なして?」
「かぁーっ、マジビッチすね!」
「なして?」
「何が力を返すですか。そんな言い訳使わなきゃキスの一つもできないのですか。はえーよ、デレ期はえーよ。リブだったらキスぐらい余裕っすよー三年前くらいから余裕っすよー」
「はいはい」
「それにマスターだって見たでしょう。返すどころかまたマスターの力奪っていったじゃないですか」
「尻尾生えてたもんね」
 走る速度も人間並みではなかった。
「まあ僕としてみれば役得」
「リブという本妻がいながら……」
 リブの小言を無視して姫奈が走り去っていった方を見やる。
 それにしても尻尾まで真っ赤なのはどうかと思った。


「困ったときの爆発オチのために、いたる所にC4爆薬しかけといたんですがどうしましょう?」
「急いで回収してきてください」